1.17を境に何を変えられたか。
阪神淡路大震災から24年。
当時はまだ小さい子どもだったけど、確実に1.17が運命を分けた日ではある。
大きな工場経営者だった祖父が他界し、震災で崩れ落ちた工場経営と抱えた多額の借金。
家族は父と俺の2人で、父は仕事が出来ない心と身体に。小さい頃から親戚を点々とし、煙たがられてきたお陰で気遣いだけは得意になった。笑
将来大成功して、自分の人生覆してやろう、と頑張ってきた。
それだけでなく、産まれながらデメリットを持った障がいのある人や、孤児、世界を見れば学校にも通えない子ども達が、夢を持ち実現出来る社会にしたいなと奮闘してきた。
高校生からアルバイトは死ぬほどしたし、学費免除の成績で大学に行けるよう頑張ってきた。
大学中は障がい者のQOL向上の研究を中心に、バイトを毎日17時から5時まで働いて、月1、2日の休み。時間を作って趣味のバンドの練習にライブして。
自分の夢を叶える為と父親の生活を支える為と、がむしゃらに頑張ってきたけど、先日とうとう父が重体になり入院生活。
仕事も思っていたほど上手くいかず、このままじゃ60歳までに自分が見たい、「理不尽な差別のない、誰もが夢を持てる社会」は見れないと焦る日々。
父の看病と仕事の両立とに心身疲弊したようで、自分も重度の抑うつ状態と診断され、休職に至りました。
阪神淡路大震災から24年。
思えばあの日から、理不尽に抗う人生だったけれど、一体何を変えられただろうか。
全力で走り続けてぴたっと止まったんじゃ意味がない。
それに、もし今震災がまた起こったらマイナスのスタートだ。24年間で築きあげてきたものなんて一瞬で崩れる。
当時は今ほど震災対策なんてなかったけど、それが出来ていればもっと犠牲は少なくて済んだはず。1.17を境に震災に対策するようになり、3.11を境に津波に対策するようになり、9.11を境にテロ対策が強化された。
人類規模で、一度起きたことの対策に追われていて未然に防ぐ事なんてまだまだ先の話。
24年。スマホ📱が登場して、これさえあれば何処でも教育が受けられる時代が来た。24年前より幸せになれる機会は増えたんじゃないかと思う。ただそれも、1日で崩れる可能性は未だにある。
もっと幸せになる努力より、今ある幸せを守る努力、これが出来るようにと毎年願うこの日。
24年でまだ何も成し得ていないけれど、あの日に失わなかった命だけは何としても守り抜きたい。24年経っても、自分の中で震災はまだ続いている。
同じ悲劇を繰り返さないように、休んでる暇なんてないのに。
休職中に出来ることを1つずつ。
泣きながらでも生きて過ごします。
ほんのいぬ。(休職中) (@PagGame) | Twitter
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